母の死
2013年 01月 08日
去年の11月から体力が衰え出し、入院生活をしていたのを年末に見舞うと、私を見つめて大きく口を開ける反応をしてくれたので、ひと安心していました。
年が明けてからMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に取りつかれ、6日に眠るような穏やかな表情で息を引き取りました。
90歳の卆寿でしたが、もう少し長生きしてほしかった気持ちで、残念でなりません。
母の思い出は良いことも悪いこともたくさんありますが、恥を忍んでひとつ紹介します。
私は小学校の低学年時は「ワルガキ」で近所の駄菓子屋のお菓子を万引きしまくっていました。店の人に見つかり、母が抗議を受け、いっしょにお店へ謝罪に行きました。その帰り道に私は警察に連れて行かれ、長時間調書を取られました。
「いきなり警察に突き出すとはなんという親だ!」と思いながらも、その時学んだことは、「人のものをとってはいけない!」ということでした。
その後、殺人事件のニュースに接すると「人のもの(命)をとってはいけない!」=「殺人は人の道に反する!」と反芻する自分がいましたし、世界中の内戦のようすや沖縄戦を学ぶ中で「人のもの(生命・財産)をとってはいけない!」=「戦争は人の道に反する国家的犯罪だ!」と解釈する自分がいました。
今の自分にある生命を大切にする姿勢や反戦意識は母のおかげで身に着いたものだ、と感謝する気持ちでいっぱいです。
千葉の葬儀にはゆみたんもいっしょに行くことになり、「お宿ではじいちゃん・ばあちゃんのお部屋にも行っていいの?」と楽しみにしたり、
式服を新しく買ってもらい鏡に映してとても嬉しそうにしていますが、
すぐにプリキュアに変身してじいちゃんを攻撃してくるのには参ってしまいます。