沖縄の不思議の世界を紹介します


by nami-5963

激戦の高地を歩く

沖縄戦で最初の激戦地となった嘉数高地、その後一番長く激戦が続いた伊祖高地から前田高地の戦跡めぐりに参加しました。

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ハーモニーセンターに40人を超える参加者が集まり、最初に「沖縄戦映像」のDVDを見てから前田高地に移動しました。

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浦添城の伊波普猷の墓のそばにトーチカがあるというのを初めて知り、

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網でふさがれた陣地壕の入り口を確認し、

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浦和の塔に向かいました。

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この塔の下にはデークガマがあり、戦死した5000余柱の遺骨が納められていましたが、現在は摩文仁の丘に移葬したそうです。

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前田高地の東端の為朝岩(ニードルロック)に着くと、左に琉大病院と右に知念半島が見渡せました。

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この場所は、日本軍の司令部のあった首里城をはじめ、

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米軍上陸地から嘉数高台(や現在の普天間飛行場)など360度を見渡せる場所だけに日米両軍が生死をかけた激戦が2週間も続き、

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戦死者が一番多かった場所とは信じられませんでした。

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「前田高地平和之碑」に黙祷を奉げ、

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碑の裏側に志村常雄隊長と

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「私の沖縄戦記」の著者の外間守善氏の名前を発見!

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為朝岩(ニードルロック)のそばに回り、右側に砲弾で崩れて陣地壕をふさいでしまった大岩を見てから、

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賀谷隊の陣地壕に「自己責任」で初めて入りました。

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陣地壕は縦横に掘り巡らされており、

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立って歩ける広さもあり、

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崖を登ってくる米兵を狙撃するための銃座もあり、

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戦闘指揮所も残っていました。

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ゆみさんとよく行く浦添大公園の上に出ると、急峻な断層崖のようすがよくわかり、

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そばに地形をうまく利用したトーチカがあるのを初めて知りました。

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浦添大公園の中を歩いていてもトーチカの銃座がいくつも目につくのも激戦地であったことを物語っていました。

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ゆみさんとよく行く伊祖公園にも「第三中隊終焉之地」の碑があり、黙祷を奉げました。

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伊祖城の入り口の鳥居にもたくさんの銃痕跡があり、

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城内にある今まで井戸跡だと思い込んでいたものが、1~2人用の戦闘用のタコツボだということがわかり、ビックリ!

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城の頂上の西端は、見晴らしがいいので、「西のピクナル」と呼ばれる監視所だったそうです。

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嘉数高地に向かいましたが、みなさんよく知っているので、おもと園のある西嘉数高地を訪ね、

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急峻な地形を見て米軍を迎え撃つ最初のゲリラ戦の地として選ばれた理由がわかりました。

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急な坂を下りると、

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激戦のために戦死した石部隊の610名の慰霊碑がありました。

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この慰霊碑は作った人たちが高齢になり、死亡してしまうケースが多く、参拝されることがないままに荒れ果ててしまうそうです。

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沖縄戦の激戦地となった嘉数高地、伊祖高地、前田高地の戦跡めぐりで4Kmを歩き、疲れはてましたが、

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身近にあるたくさんの戦跡をもっとたくさんの人に知ってもらい、平和学習に役立てたい気持ちになりました。
by nami-5963 | 2013-07-05 00:36 | 歴史・史跡・世界遺産 | Comments(0)