我如古(がねこ)を歩く
2013年 08月 17日
たくさんの市民の参加がありました。
この地域は、江戸時代からの琉球王府の区画整備による碁盤の目の街並みや道路が今も残っている地域だそうです。
最初に訪れたのが、イリヌカー(西泉)で、
集落の西に位置する湧き水で、飲料水や正月の若水、産水として利用され、拝みの場として大切にされてきたそうです。
雨が降った後だったので、少し濁っていましたが、とても冷たく、メダカやグッピー、エビなどが棲んでいました。
街中を通り、坂道を下ると川にかかった琉球石灰岩の立派な一枚岩の橋・上之川橋があり、
宜野湾並松(なんまつ)へと続く主要道路だったそうです。
坂を上ると市の文化財第一号に指定されたとても立派な我如古ヒージャーガー(樋川泉)があり、
案内板の絵でいかに大切に活用されていたかがよく解りました。
きれいに整備されていて、石畳は自然石をうまく取り込んで作られていましたし、
まわりの石垣に野面積み、相方積みなどのようすも見ることができました。
この地域も沖縄戦の激戦地でもあり、戦没者の慰霊の碑とトゥンがありました。
慰霊の碑に合掌して平和を祈念した後、トゥンの左が火の神(女神)、右が(男神)で、火の神(女神)の方から拝むことを教えてもらいました。
旧家の仲里家を訪れると、立派なヒンプンが出迎えてくれ、
屋敷獅子が横たわっていたり、
立派な井戸の遺構、
フール(豚小屋と便所が一体化したもの)も見学できました。
最後に、我如古さんちのチンガーガマを訪れました。
沖縄戦時は、我如古さんが4歳だったそうで、
このガマで二か月間過ごした30人全員が生存できたそうで、
お孫さんの自由研究の貴重な資料も見せて下さいました。
こんな狭い地域で貴重な歴史や文化が学べるすばらしさを味わった帰り道で素晴らしい壁画にも出会えました。