沖縄の不思議の世界を紹介します


by nami-5963

浦添(うらそえ)④

1589年に、浦添出身の尚寧王(しょうねいおう)が第二尚氏七代目の国王となりました。
彼は、首里城と故郷の浦添城との間を琉球石灰岩の石畳で道路整備をし、このことをたたえた石碑も残っています。

c0180460_09157.jpg

c0180460_095946.jpg

この石碑に描かれた太陽は琉球国王を表し、鳳凰はこの王が優れた人物であること、雲はこの国が豊かな土地であることを意味しているそうです。

c0180460_0102566.jpg

つい最近、この石畳の遺構が発見され、発掘調査が始まったばかりだそうです。

c0180460_0111397.jpg

さらに、尚寧王は北の普天間宮への参拝のために普天間街道を石畳で整備しました。

c0180460_0115867.jpg

それが今でも「当山の石畳道」として、きれいに残っています。

c0180460_0123337.jpg

この街道は首里城への年貢を運んだりするのにも使われましたが、坂が急だったために馬も転ぶ!といわれていたそうです。

1609年の「薩摩の侵攻」時の国王も、尚寧王でした。歴史の皮肉か?尚寧王は囚われの身となり、薩摩藩で2年間幽閉されていました。

琉球に戻った尚寧王は琉球国王でありながら、国王が入るべき「玉陵(たまうどぅん)」には入らず、「てだこ」といわれた英祖王といっしょに「浦添ようどれ」に祭るように指示しました。

このことは、「薩摩の侵攻」の責任を取ったのか?故郷浦添への郷愁だったのか?と歴史の謎が深まるばかりで、歴史ロマンに心がときめくのを覚えます。

浦添って歴史のある街だということが分かり、偶然住み着いたのですが、とても誇りに思えてくるのです!
by nami-5963 | 2009-04-08 00:16 | 歴史・史跡・世界遺産 | Comments(0)