牧港の歴史
2010年 01月 26日
牧港漁港の公園に130人の歴史愛好家が集まり、お茶の配給を受けた後、ストレッチ体操をしてスタートしました。
公園内の「おもろの碑」には中琉交易に功績のあった察度王(1350~95年)を讃える内容が残っていました。
最初の中琉交易の中心地が昔の牧港港(那覇港ではありません!)でした。素晴らしい天然の良港だったようです。
江戸時代の後期にペリーも訪れて大きな岩山と7連の橋の絵を残していました。
大きな岩山には、現在は高級マンションが建っていますが、その前に立派な7連の橋がかかっていたこともわかりますし、素晴らしい港であることを讃えた碑もあったそうですが、残念なことに戦禍を経て破壊され今は何も残っていないそうです。
さらに歩くと首里から浦添城に通じる「国頭・中頭方西海道」と国道58号線のもととなった「国頭街道」とが合流する交通の要所も残っていました。
そこには、てだこ(ティーダ(太陽のこと)のこども)を意味するオブジェが残されていました。
すぐそばには、村の井戸・産湯をつかった牧港ガー(シマヌカー)があり、手長エビやメダカが住んでいました。
そのすぐ前に、「ケービン」と呼ばれて県民に慕われていた「沖縄県営鉄道」の無人の「牧港駅」があったそうです。
伊祖城のそばまで坂を登ると立津ガー(タチチガー)がこんこんとわき出していました。
最後に牧港の「御嶽(うたき)」であり、「御願所」であった天然の琉球石灰岩の自然洞窟「テラブのガマ」を訪れました。
ここは自然の鍾乳石群があり、たくさんの動物化石も出たそうです。1830年に「権現」が祭られ、一対の石灯籠も寄進され、豊作と航海安全を祈願したところだそうです。
普段、買い物やボウリングに通ったりしていたところにたくさんの湧き水や歴史的遺産のあることを改めて知ることができ、とても勉強になりましたし、自分たちの住んでいる浦添・牧港に親近感と誇りを持つことができました。
いつも歯切れのよい説明と豊富な資料を駆使した名ガイドをして下さる盛島さんにみんなで感謝をし、大きな拍手で歴史探索会を終えることができました。
ありがとうございました!