軽便鉄道②
2011年 01月 22日
続いて、大正11年(1922)3月には「嘉手納線」が開通し、翌年の7月に「糸満線」が開通したそうです。
残っている写真を見ても、立派な車両で、値段も高く庶民はなかなか利用できなかったようでしたが、「ケービン」「ケイビン」と呼ばれて慕われていたそうです。
浦添市内のゆみたんちに近い「城間駅」があったところを前回見ましたので、さらに「嘉手納線」を北上してみることにしましょう。
国道58号線をまたぐ形で左(北)へゆっくりカーブし、県営浦添市街地住宅のあたりで58号線をまたぐ形で右(北)へゆっくりカーブして行きます。
この辺りの線路跡は今も細い道路となってちゃんとカーブも残っています。
信号を渡ったところのピンク色の建物のあたりに「牧港駅」があったそうです。
この道を進むとコープの牧港店を通り、おきでん料理教室とボウリング場の間を通り抜けていきます。
自分のふだんの生活エリアに軽便鉄道が走っていたことを再認識しました。
もう少し進むと大謝名(おおじゃな)団地前のこんもりした森のあたりに「大謝名駅」があったようです。
ここを過ぎると58号線を再びまたぎ、宜野湾の田園風景の中を北に向かって進んでいったようです。