読谷村の自然・歴史見学
2012年 11月 30日
以前にも戦跡巡り(2009.11.25、参照)に参加したことを思い出しました。
オスプレイの配備反対!をしっかり表明している村役場の駐車場に集合し、
マイクロバスに乗って最初に向かったのは残波岬でした。
残波岬は琉球石灰岩の高台になっていて、昔から航路の目標になって来たそうで、現在は灯台が設置されていました。
牛は草が好きだが、若者は若い女性が好き!という意味の「こてい節」の歌碑を見学し、
先の台風で波に押し上げて運ばれた大きな岩と
破壊された遊歩道を見学し、自然の持つ力の偉大さを感じました。
次は、瀬名波川平という急坂の下にある海岸にコンコンと湧くカー(湧泉、井戸)を見学しました。
この瀬名波カーは正月には若水を、こどもが生まれた時は産水を汲んだそうです。
また、このあたりの景色はおもろそうしにも読まれた絶景で有名だそうです。
三番目は、読谷村の西海岸一帯に見られる石切場跡を訪れました。
ここで切り出された石は琉球石灰岩ではなくビーチロックという良質なもので、「宇座石」と呼ばれコンクリートブロックやセメントが普及する昭和の初め頃まで採石され、
干潮時にチシという鉄の道具で切り出し、満潮時には浮力を利用して馬車に積み込んで運搬したそうです。
次は、2200年前(弥生時代相当)の渡具知木綿原遺跡(とぐちもめんばるいせき)を訪れました。
ここでは、箱式石棺墓が10基、保存状態の良い人骨が20体出土したので、国の指定史跡になっているそうです。
また、ここは権威の象徴として珍重されたゴボウラ貝の腕輪の産地だということが分かり、九州から北海道にまでゴボウラ貝やイモガイが運ばれた海上交易の「貝の道」があったということも分かったそうです。
最後は、比謝川河口付近の海岸にあるトゥマイグシクを訪れました。
ここには、今帰仁城で謀反があった時、城のあとつぎの「千代松(後の丘春)」が隠れ住み、仇討ちの機会を伺ったという伝説が残っているそうで、
琉球石灰岩の侵食地形特有のたくさんの奇岩・洞窟が見られ、
「沖縄南八景」に選ばれたほどの景勝地で、
現在は泊城公園として整備されていました。
この渡具知という比謝川河口付近の海岸一帯は、沖縄戦で米軍が最初に上陸した地点として有名で、
説明板も設置されていました。
半日でしたが、とても丁寧に説明・案内をしてもらい、いい勉強になりました。
私はまさしくこの読谷の出身です♪
残波岬も瀬名波かーも子供の頃の思い出がいっぱいです。
岬の公園に置かれている貿易船も叔父が生きていた頃に生きていた頃に設計したものですし
弟は役場務めなんですよ・・・・笑
沢山の方がこうして沖縄の歴史に興味を持ってくださるって感謝です!!
お便りありがとうございます。
読谷のご出身だったんですか。
いいところですね。
沖縄に来ていろいろ訪ねてみた中で、お金でもあれば、
住みつきたい!と思った場所のひとつなんですよ。
なみまる