阿須森御嶽(あすむいうたき)
2013年 04月 23日
琉球を開いたアマミキヨが作ったという七大御嶽の一つと言われています(左端の峰)。
その阿須森御嶽を友達に案内してもらいました。
国道58号線沿いの辺戸の集落に差し掛かると「義本王の墓」があり、立ち寄ってみました。
義本王は瞬天王統の三代目の国王で、大飢饉や伝染病がはやったので、英祖に王統を譲禅し、この地に隠れ住んだと伝えられていて、
墓は立派な石組みでできており、村の文化財に指定されていました。
最近、発掘調査があったとかで、案内表示も整備され、その成果が期待されています。
辺戸の集落を過ぎたところに、地元では「黄金の森」と呼ばれている阿須森御嶽の登山口があり、
山道を登って行くといたる所に祠が置かれて拝所になっていましたし、
急で危険な登山道にはロープや鎖がかけられていました。
30分ほどで頂上に着くと、248.3mの頂上からの眺めは最高で、北側の眼下には辺戸の集落、その先に辺戸岬と続き、
南には茅打ちバンダや宜名真漁港、
西には観光地の石林山、
南東方向には本島最高峰の与那覇岳(503m)も遠望できる素晴らしい眺めが広がっていました。
また、頂上には質素な祠が置かれているだけで、他には何もない沖縄の聖地の姿そのものでした。
さわやかな風に吹かれておにぎりを頬張っていると、環境省のレンジャーさんと出会い、いろいろ話し込んでいると私の高校の後輩ということがわかりビックリ!!
不思議な出会いの記念に写真をパチリ!
下山してから阿須森御嶽の頂上を見上げると、やはり人力を超えた聖なる地ということを実感しましたが、
科学的には遠い海で2~3億年前にたい積した石灰岩が海洋プレートに乗って運ばれて来たものだそうで、
本部半島の石灰岩と同じものが辺戸岬には分布しているそうです。
また、辺戸岬の祖国復帰闘争記念碑のそばにはこの古い石灰岩と新しい琉球石灰岩(100万年前)とが接している(不整合)ところも見られるというのがすごいですね。
辺戸岬で友達の入れてくれた暖かいコーヒーを飲みながら阿須森御嶽を眺めていると、成り立ちが科学的に解明されているとはいえ、アマミキヨが作ったという御嶽のすごさを改めて実感しました。