為朝岩(ハナレジー)
2013年 10月 05日
そんな訳で、昨日の昼から歴史愛好家の友人と浦添城址を探索した時のことをレポートしてみます。
沖縄戦の日本軍の陣地壕の穴を確認しつつ、
和光地蔵の碑文を初めて読み進むと、聖徳太子の建立した大阪の四天王寺の信者さんが平和を願って建立したものとわかりました。
ディークガマの中にある浦和の塔に黙祷を奉げ、
「浦添王子遺跡」と「浦添御殿の墓」との関係が解らないねえ~!と会話しました。
沖縄戦の激戦地を現す「前田高地平和之碑」にも黙祷を奉げ、
為朝岩(ハナレジー)に回ると、去年の台風で傷んだので、足場を組んで修理工事をしていましたが、現場の許可をもらって少し立ち入らせてもらい、写真を撮らせてもらいました。
この為朝岩は沖縄戦時、米軍ではニードルロック(針の岩)と呼ばれ、二週間の激戦で日米両軍が毎日奪い合ったそうで、艦砲射撃の砲弾で岩が崩れてしまったそうです。
明治44年時の写真の左上部分の岩が崩れてしまったことが、
あとで尾根道から見るとよく解りました。
ここからは首里城や西原町の激戦地だった運玉森も見渡せますし、
宜野湾市の激戦地の嘉数の高台や普天間飛行場もよく見渡せました。
台風前の強風が吹き荒れていて、欠陥機のオスプレイやヘリが一機も見られず、静かなのが心地よかったです。