粟石の観察会
2014年 03月 08日
今にも雨の降りそうな強風の吹き荒れる中、地質学ファンや家族連れの40名ほどの参加があり、相変わらずの盛況でした。
今日の観察主題は琉球石灰岩の中でも12~13万年前に星砂などの有孔虫が堆積してできたという軟らかい「粟石(あわいし)」の「牧港(まちなと)石灰岩」ですが、
この石が最初に研究されたのがカーミージーのある「浦添の牧港(まちなと)」だったために「牧港(まちなと)石灰岩」と名前が付き、
大阪名物の「粟おこし」のように見えることから「粟石」と呼ばれるようになったそうです。
また、「粟石」の産地は浦添の牧港、この八重瀬町と伊計島の三か所だけという珍しいものだそうです。
この「粟石」は柔らかく、加工がしやすいことから、この採石場では明治20年ころから今まで主に建材(ヒンプン、柱、塀材等)として切り出されてきたそうで、
ノミ跡の残った砕石跡も現存しており、
場所によっては城壁を連想させるような砕石跡も残っていました。
また、この石の柔らかさはポットホール(甌穴)という丸い大小の穴やくぼみを開け、
波の力によって回転した小石が削り取った丸い穴ががたくさん開いていたり、
ノッチといわれる浸食地形としてもよく観察できました。
さらに、海岸には、カメの仲間のタイマイの死骸が打ち上げられていて、
頭部はすでに白骨化していました。
石の会の観察会の後、
歴史好きの三人で尚泰王の墓や
百十踏揚(ももとふみあがり)の墓などを巡って、
断崖の上にあるおいしいおそば屋に寄って帰ってきました。