恩納村の歴史と湧き水
2017年 04月 16日
湧き水fun俱楽部の4月の定例会が恩納村博物館でありました。
恩納村博物館では以前にも「歴史講座」があり(2009.5.19~20、参照)、いろいろと学ばせて頂いたことを懐かしく思い出しながら参加しました。
今回は「山田グスク周辺の文化財」と題して、村教育委員会・文化財担当の崎原恒寿さんがとても親切で丁寧な90分の講演と質疑応答の後、一時間現地案内をして下さいました。
印象に残ったのが、山田グスクの伝承で「山田グスクから座喜味城に移転する時に護佐丸を慕った村民が一列になって石垣の石を手渡しで運んだ」とする石垣の跡は発見されたものの、
当時の村民数や石垣の石の数と距離からすると無理な話だった!ということが証明されたということでした。
また、山田グスク内には井戸がないことや金属でできた毛抜きや武器を研ぐ砥石の出土があったことや
武具の出土数が(座喜味城):(山田グスク)=1:50ということにもとても興味がわきました。
琉球王朝時代の宿道の国頭方西海道を訪れて、
今は水が枯れているが中国産の青磁が出たというウブガー、
護佐丸父祖の墓への山道
中国産の碇石(いかりいし)が使われているメーヌカーなど
を巡る険しい山道を歩いてみるとこの街道を見下ろす要塞にそびえる山田グスクの戦略的意味がよく分かりました。
長時間お世話になった崎原さんにお礼を述べて、
昔からあって有名な「シーサイドレストラン」にみんなで出かけ、
懐かしい味のカレーライスをおいしく頂きました。
みなさん、お疲れさまでした。