南城市の玉城少年の家で「東御廻りの拝所をたずねて」がありました。

東御廻り(09.3.19-20、09.9.26、09.10.22、10.5.9、参照)は、琉球国王の聖地巡礼が始まりで、

14か所をめぐります。いわば「四国八十八カ所巡り」のようなものです。

今回は、その中で沖縄民族の祖先と言われる「アマミキヨ」が、大海原の彼方のニライカナイから琉球に降り立った順に訪ねてみました。

最初に訪れたのは、「ヤハラヅカサ」で、ここにアマミキヨが上陸したとされています。

海中に石碑が立っていますが、干潮時にはそばまで行くことができます。

次に、アマミキヨが浜川の清水で旅の疲れをいやし、仮住まいをしたという「浜川御嶽(はまかわうたき)」です。

三番目は、稲作発祥の地と言われる「受水(うきんじゅ)・走水(はいんじゅ)」で、

ここは今もきれいな湧き水がこんこんと湧きだしているのが素晴らしいですね。

四番目は、受水・走水のところから見上げたアマミキヨが開いた琉球七嶽の一つの藪薩(ヤブサツ)の御嶽です。

私は、この御嶽を訪れるのは初めてでしたが、沖縄の典型的な御嶽の姿だそうで、

何もない岬の先端部に石畳か敷かれ石が置かれているだけのものでした。

久高島からこの岬の御嶽までの間の七つの小島を伝って神がこの地に降臨すると言われているそうです。

五番目は、ミントゥングスクで、ここにアマミキヨが定住したので、沖縄の発祥の聖地とされいるそうです。ここは民家の中にあるため今までは見学できたことがありませんでした。今回初めて訪れることができてよかったです。

午前中の最後は、そばにある仲村渠樋川(ナカンダカリノヒージャー)を訪れました。

ここは石畳と石組が素晴らしく国指定の重要文化財に指定されていますし、昔より水量が減ってきたそうですが、いまもきれいな湧き水がたくさん流れ出していました。

老夫婦がガジュマルの木の下で、休みを取っておられるようすは沖縄の原風景のようでした。
玉城少年の家でおいしい給食を頂きました。

東御廻り(09.3.19-20、09.9.26、09.10.22、10.5.9、参照)は、琉球国王の聖地巡礼が始まりで、

14か所をめぐります。いわば「四国八十八カ所巡り」のようなものです。

今回は、その中で沖縄民族の祖先と言われる「アマミキヨ」が、大海原の彼方のニライカナイから琉球に降り立った順に訪ねてみました。

最初に訪れたのは、「ヤハラヅカサ」で、ここにアマミキヨが上陸したとされています。

海中に石碑が立っていますが、干潮時にはそばまで行くことができます。

次に、アマミキヨが浜川の清水で旅の疲れをいやし、仮住まいをしたという「浜川御嶽(はまかわうたき)」です。

三番目は、稲作発祥の地と言われる「受水(うきんじゅ)・走水(はいんじゅ)」で、

ここは今もきれいな湧き水がこんこんと湧きだしているのが素晴らしいですね。

四番目は、受水・走水のところから見上げたアマミキヨが開いた琉球七嶽の一つの藪薩(ヤブサツ)の御嶽です。

私は、この御嶽を訪れるのは初めてでしたが、沖縄の典型的な御嶽の姿だそうで、

何もない岬の先端部に石畳か敷かれ石が置かれているだけのものでした。

久高島からこの岬の御嶽までの間の七つの小島を伝って神がこの地に降臨すると言われているそうです。

五番目は、ミントゥングスクで、ここにアマミキヨが定住したので、沖縄の発祥の聖地とされいるそうです。ここは民家の中にあるため今までは見学できたことがありませんでした。今回初めて訪れることができてよかったです。

午前中の最後は、そばにある仲村渠樋川(ナカンダカリノヒージャー)を訪れました。

ここは石畳と石組が素晴らしく国指定の重要文化財に指定されていますし、昔より水量が減ってきたそうですが、いまもきれいな湧き水がたくさん流れ出していました。

老夫婦がガジュマルの木の下で、休みを取っておられるようすは沖縄の原風景のようでした。
玉城少年の家でおいしい給食を頂きました。
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by nami-5963
| 2011-10-31 12:38
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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ハーモニーセンターで大人のやま学校「男性のためのアウトドア講座」があり、

大人も童心に戻って自然に触れ合おうという趣旨で、

浦添大公園に出かけました。

さっそく駐車場の側にはえている葉の両側がちぢれている!チヂミザサと

マダラコオロギを教えてもらいました。

浦添大公園では、このマダラコオロギに一番多く出会いました。

川に出ると講師の先生が昨日仕掛けておいてくれた網を引き揚げました。

最初はたくさんのグッピーとかわいいテナガエビとカワニナが採れ、

二回目の網では大きなテナガエビが2匹とティラピアをゲットできました。

意外と生物が多いのに驚きました。

イナゴ、

オオヤスデとカラスウリ、

ナナフシの緑色のかわいい幼虫、

ナガマルコガネグモなどにも出会いました。

葉っぱを丸めて珍しい住み家にするタテハチョウの幼虫もいました。

普天間街道に続く当山の石畳と

当山橋のそばで休憩を取りました。

モリバッタ、

カタツムリだと思ったらフタのあるオキナワヤマタニシがいたり、

超ビッグなオオジョロウグモにもたくさん出会いました。

このオオジョロウグモはオスがとても小さく、交尾後はメスに食べられてしまわないように命がけの
交尾をする!と聞かされ笑ってしまいました。

真ん中にオオジョロウグモのメスがじんどり、右斜め上に小さい3匹のオスがいるのがわかりますか?

今日一番感動したのは、昼間なのにエサを求めてお猿さんのように樹を移動するオオコオモリを3匹も見ることができたことです。

まだまだ豊かな自然が残っている浦添大公園にゆみたんを連れて来てやったら大喜びするだろうな~と思いました。

大人も童心に戻って自然に触れ合おうという趣旨で、

浦添大公園に出かけました。

さっそく駐車場の側にはえている葉の両側がちぢれている!チヂミザサと

マダラコオロギを教えてもらいました。

浦添大公園では、このマダラコオロギに一番多く出会いました。

川に出ると講師の先生が昨日仕掛けておいてくれた網を引き揚げました。

最初はたくさんのグッピーとかわいいテナガエビとカワニナが採れ、

二回目の網では大きなテナガエビが2匹とティラピアをゲットできました。

意外と生物が多いのに驚きました。

イナゴ、

オオヤスデとカラスウリ、

ナナフシの緑色のかわいい幼虫、

ナガマルコガネグモなどにも出会いました。

葉っぱを丸めて珍しい住み家にするタテハチョウの幼虫もいました。

普天間街道に続く当山の石畳と

当山橋のそばで休憩を取りました。

モリバッタ、

カタツムリだと思ったらフタのあるオキナワヤマタニシがいたり、

超ビッグなオオジョロウグモにもたくさん出会いました。

このオオジョロウグモはオスがとても小さく、交尾後はメスに食べられてしまわないように命がけの
交尾をする!と聞かされ笑ってしまいました。

真ん中にオオジョロウグモのメスがじんどり、右斜め上に小さい3匹のオスがいるのがわかりますか?

今日一番感動したのは、昼間なのにエサを求めてお猿さんのように樹を移動するオオコオモリを3匹も見ることができたことです。

まだまだ豊かな自然が残っている浦添大公園にゆみたんを連れて来てやったら大喜びするだろうな~と思いました。
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by nami-5963
| 2011-10-30 23:05
| 沖縄の不思議
|
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「おもろ」が、神をたたえる歌謡で、それらを集めて編集した「おもろそうし」は全22巻あり、1554首が収められているそうです。

浦添に関するものは15巻の「うらおそい・きたたん・よんたんざおもろ」に52首収められているそうです。

その中の9首が浦添市内の9か所に歌碑として建てられているということで、その歌碑巡りがありましました。

バスで移動中に先生が、「おもろ」の意味の説明を詳しくして下さいました。

一番目は、沢岻(たくし)のめじろ公園の碑で、

国中に名声が鳴り響く沢岻太郎の名付け親を讃えた歌でした。

二番目は、仲間交番前の碑で、

浦添は黄金が集まる素晴らしく繁栄した土地であることを讃えたものでした。

三番目は、浦西中学校正門前の碑で、

浦添グスクの王の偉大さを讃えた歌でした。

四番目は、牧港漁港にある石碑で、


膨大な利益をもたらす中国との進貢貿易に成功した察度王(さっとおう)を讃えたものでした。

五番目は、仲西公民館前の碑で、

仲西のすぐれた船の操り人の真人を讃えた歌でした。

六番目は、屋冨祖(やふそ)公民館前の碑で、

親冨祖の大屋子が貢物をささげるようすを歌ったものでした。

ここで参加者全員の写真撮影をしたり、

公園を見て回ると大きなサガリバナの実がついていてビックリ!

七番目は、城間のゆみたんがよく遊びに行くという泉小公園の碑で、


城間の長老が神女たちと神祭りをするようすを歌ったものでした。

八番目は、去年までのゆみたんの運動会会場だった伊祖公園の碑で、

一年中酒盛りができるほどの英祖王がいつまでも栄えることを祈った歌でした。

九番目は、浦添運動公園メインゲート前の碑で、


浦添は新酒が満ち溢れた豊かな土地であることを褒めたたえていました。
こうして9か所の歌碑をめぐってみると、首里城以前の古琉球の王府だった浦添の歴史と繁栄ぶりを誇りに感じることができました。

浦添に関するものは15巻の「うらおそい・きたたん・よんたんざおもろ」に52首収められているそうです。

その中の9首が浦添市内の9か所に歌碑として建てられているということで、その歌碑巡りがありましました。

バスで移動中に先生が、「おもろ」の意味の説明を詳しくして下さいました。

一番目は、沢岻(たくし)のめじろ公園の碑で、

国中に名声が鳴り響く沢岻太郎の名付け親を讃えた歌でした。

二番目は、仲間交番前の碑で、

浦添は黄金が集まる素晴らしく繁栄した土地であることを讃えたものでした。

三番目は、浦西中学校正門前の碑で、

浦添グスクの王の偉大さを讃えた歌でした。

四番目は、牧港漁港にある石碑で、


膨大な利益をもたらす中国との進貢貿易に成功した察度王(さっとおう)を讃えたものでした。

五番目は、仲西公民館前の碑で、

仲西のすぐれた船の操り人の真人を讃えた歌でした。

六番目は、屋冨祖(やふそ)公民館前の碑で、

親冨祖の大屋子が貢物をささげるようすを歌ったものでした。

ここで参加者全員の写真撮影をしたり、

公園を見て回ると大きなサガリバナの実がついていてビックリ!

七番目は、城間のゆみたんがよく遊びに行くという泉小公園の碑で、


城間の長老が神女たちと神祭りをするようすを歌ったものでした。

八番目は、去年までのゆみたんの運動会会場だった伊祖公園の碑で、

一年中酒盛りができるほどの英祖王がいつまでも栄えることを祈った歌でした。

九番目は、浦添運動公園メインゲート前の碑で、


浦添は新酒が満ち溢れた豊かな土地であることを褒めたたえていました。
こうして9か所の歌碑をめぐってみると、首里城以前の古琉球の王府だった浦添の歴史と繁栄ぶりを誇りに感じることができました。
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by nami-5963
| 2011-10-29 21:46
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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月下美人の今年、四度目の開花がありました。

株分けした二階の月下美人のつぼみがだんだん大きくなってくれています。

その親の一階の月下美人も、花芽を四つもつけてくれましたが、

途中で二つ落ちてしまいました。

少しずつつぼみが大きくなって来て、

下向きだったつぼみがついに上向きになってきました。

つぼみが膨らんで来て、

ついに今晩、花を咲かせてくれました。

それもしめしあわせたように三つ同時にです。なにか呼び合うものがあるのでしょうか?

大潮だからでしょうか?不思議でなりません。

ほのかに甘い香りを漂わせ、暗い夜に人知れず一夜だけの花を咲かせるなんてとてもロマンチックですね。

花の命は短くて、朝の姿が無残でなりません・・・

株分けした二階の月下美人のつぼみがだんだん大きくなってくれています。

その親の一階の月下美人も、花芽を四つもつけてくれましたが、

途中で二つ落ちてしまいました。

少しずつつぼみが大きくなって来て、

下向きだったつぼみがついに上向きになってきました。

つぼみが膨らんで来て、

ついに今晩、花を咲かせてくれました。

それもしめしあわせたように三つ同時にです。なにか呼び合うものがあるのでしょうか?

大潮だからでしょうか?不思議でなりません。

ほのかに甘い香りを漂わせ、暗い夜に人知れず一夜だけの花を咲かせるなんてとてもロマンチックですね。

花の命は短くて、朝の姿が無残でなりません・・・
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by nami-5963
| 2011-10-28 23:50
| 花・草木
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おきなわ県民カレッジで、組踊(くみおどり)の「大城崩(おおしろくずれ)」の観賞会がありました。

組踊が2010年11月16日、ユネスコ世界無形文化遺産に指定されたことを受け、

割安の料金で多くの県民に組踊に親しんでもらおうという取り組みでした。

会場の立派な「国立劇場おきなわ」に初めて行きましたが、

そばにある組踊公園には、

先達顕彰碑などもあり、組踊の歴史や重みを感じることができました。

最初に大学の先生から組踊についての解説がありました。

組踊は、せりふを主として歌(音楽)と踊りで筋を運ぶ沖縄独自の歌舞劇であり、
琉球王府の踊奉行に任命された玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が、中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」を歓待するために、沖縄の古来の芸能や故事を基礎に創作したもので、1719年に初めて上演されたそうです。

玉城朝薫の創作した5つの作品を含め、その後の踊奉行らによって創作された組踊は現在約70作品が確認されているそうです。

会場には組踊の舞台のミニチュアがありましたが、

本物はもっと素晴らしかったですよ。
ここからは、すべて撮影禁止のため残念でしたが、「大城崩」が敵討(かたきうち)の物語ながら、敵討を続けていると永遠に繰り返すことになるので、「ここで止めましょう!」という勇気ある母の言葉が光り輝いていました。

組踊が2010年11月16日、ユネスコ世界無形文化遺産に指定されたことを受け、

割安の料金で多くの県民に組踊に親しんでもらおうという取り組みでした。

会場の立派な「国立劇場おきなわ」に初めて行きましたが、

そばにある組踊公園には、

先達顕彰碑などもあり、組踊の歴史や重みを感じることができました。

最初に大学の先生から組踊についての解説がありました。

組踊は、せりふを主として歌(音楽)と踊りで筋を運ぶ沖縄独自の歌舞劇であり、
琉球王府の踊奉行に任命された玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が、中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」を歓待するために、沖縄の古来の芸能や故事を基礎に創作したもので、1719年に初めて上演されたそうです。

玉城朝薫の創作した5つの作品を含め、その後の踊奉行らによって創作された組踊は現在約70作品が確認されているそうです。

会場には組踊の舞台のミニチュアがありましたが、

本物はもっと素晴らしかったですよ。
ここからは、すべて撮影禁止のため残念でしたが、「大城崩」が敵討(かたきうち)の物語ながら、敵討を続けていると永遠に繰り返すことになるので、「ここで止めましょう!」という勇気ある母の言葉が光り輝いていました。
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by nami-5963
| 2011-10-27 23:45
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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浦添市の中央公民館で「おもろ講座」が二回ありました。
沖縄で生活するといままで耳にしたことのない「てだこ」や「おもろ」という言葉を耳にすることが多く、なんだろう?と疑問に思ってきました。
最近やっと、「てだこ」の「てだ」は太陽のことで、「てだこ」は太陽の子を意味し、英祖王のことをさしていることが解りました。
「おもろ」に至っては、大阪弁で「おもろいやっちゃ!」という「ちょっと変わった人物」的にしかとらえていませんでした。

その「おもろ」が、神をたたえる歌だ!ということをこの講座で初めて知りました。

この「おもろそうし」は首里の琉球王府が十六世紀から十七世紀にかけて採録・編集した神をたたえる歌謡集で、古事記や万葉集などを合わせたものにあたる沖縄最大の古典だそうです。

全部で22巻あり、1554首のおもろが収められていて、浦添に関するものは15巻の「うらおそい・きたたん・よんたんざおもろ」に52首収められているそうです。

おもろの形式は歌い出しの「一」と繰り返しの「又」があるのが特徴で、音楽的リズムを持たせているそうです。

二回の講座でメモは取るものの、意味がさっぱり分からず、「神をたたえる歌なんだ!」と自分に言い聞かせていました。

かの「おもろと沖縄学の父」と言われた伊波普猷(いはふゆう)でさえ、最初に「おもろ」に出会った時は、意味がさっぱり分からなかった!そうですから心配いりませんね。

図書館をのぞいてみると「おもろ」のコーナーもあり、

岩波文庫にも二冊あることがわかり、これからぼつぼつ勉強して行こうかな、と思っています。
沖縄で生活するといままで耳にしたことのない「てだこ」や「おもろ」という言葉を耳にすることが多く、なんだろう?と疑問に思ってきました。
最近やっと、「てだこ」の「てだ」は太陽のことで、「てだこ」は太陽の子を意味し、英祖王のことをさしていることが解りました。
「おもろ」に至っては、大阪弁で「おもろいやっちゃ!」という「ちょっと変わった人物」的にしかとらえていませんでした。

その「おもろ」が、神をたたえる歌だ!ということをこの講座で初めて知りました。

この「おもろそうし」は首里の琉球王府が十六世紀から十七世紀にかけて採録・編集した神をたたえる歌謡集で、古事記や万葉集などを合わせたものにあたる沖縄最大の古典だそうです。

全部で22巻あり、1554首のおもろが収められていて、浦添に関するものは15巻の「うらおそい・きたたん・よんたんざおもろ」に52首収められているそうです。

おもろの形式は歌い出しの「一」と繰り返しの「又」があるのが特徴で、音楽的リズムを持たせているそうです。

二回の講座でメモは取るものの、意味がさっぱり分からず、「神をたたえる歌なんだ!」と自分に言い聞かせていました。

かの「おもろと沖縄学の父」と言われた伊波普猷(いはふゆう)でさえ、最初に「おもろ」に出会った時は、意味がさっぱり分からなかった!そうですから心配いりませんね。

図書館をのぞいてみると「おもろ」のコーナーもあり、

岩波文庫にも二冊あることがわかり、これからぼつぼつ勉強して行こうかな、と思っています。
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by nami-5963
| 2011-10-25 16:25
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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なんだかカメムシが我が家に集合してきているようです。
先日レポートした(2011.10.21、参照)ところ以外にも、カメムシが群れていました。

フラッシュを当てると葉っぱの裏に移動します。

葉っぱの裏をのぞいてみるといっぱい!隠れていました。

別のところではサクラランの伸びたツルの先端にサーカスの綱渡りのようにたくさんぶら下がっていました。
どんな意味があるのか?なぜこんなに集まってくるのか?不思議でなりません。

さらに、この間紹介したハチの巣?らしきものに泥できちんとフタがされていました??
どうなっているのでしょうか、不思議でなりません。

また、ゆみたんが、389(サンパーク)カーニバルの初日に金魚すくいをして、もらったという出目金を我が家で預かってお世話することになりました。
仲がよさそうなので卵を産むかな?!と期待しています。
先日レポートした(2011.10.21、参照)ところ以外にも、カメムシが群れていました。

フラッシュを当てると葉っぱの裏に移動します。

葉っぱの裏をのぞいてみるといっぱい!隠れていました。

別のところではサクラランの伸びたツルの先端にサーカスの綱渡りのようにたくさんぶら下がっていました。
どんな意味があるのか?なぜこんなに集まってくるのか?不思議でなりません。

さらに、この間紹介したハチの巣?らしきものに泥できちんとフタがされていました??
どうなっているのでしょうか、不思議でなりません。

また、ゆみたんが、389(サンパーク)カーニバルの初日に金魚すくいをして、もらったという出目金を我が家で預かってお世話することになりました。
仲がよさそうなので卵を産むかな?!と期待しています。
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by nami-5963
| 2011-10-24 18:39
| 沖縄の不思議
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「うらおそい歴史ガイド友の会」の四大事業の一つの「尚寧王の道をたどる」(2009.11.4、参照)が11月3日に迫ってきました。

そこで、新しく歴史ガイドになった4期生がガイドデビューするために、4期生を中心に事前研修会が開かれました。
ようどれ館から首里城までの5Kmの尚寧王の道を辿りながら、要所要所の解説をしてもらいました。

最初の浦添城の前の碑では、

小学生のこどもガイドさんが説明してくれましたが、その落ち着きぶりとまとまった説明に4期生もビックリ!でした。

歩いている時も集団の安全に気を配り、事故にならないように信号や横断歩道の利用をすることの大切さも感じました。

急な坂を下り谷底に着くときれいに復元された安波茶橋があり、

ここを中頭方西海道が通っているということです。

この奥にある国王が赤い皿で水を飲んだというきれいな水が湧き出している「赤皿ガー」を初めて見学しました。

経塚の碑では、唯一トイレがあるので、有効活用に心がけたいですね。

途中きれいなニトベカズラのピンクの花を楽しんだりすることもでき、心がなごみました。

ニシヌヒラと

フェーヌヒラの急坂は息が切れる難所でした。

太平(平良)橋は現在の場所より下流にかかっていたそうで、

急坂を登ると儀保くびりでした。

首里に向けての急坂を登りだすと安谷川(あだにがー)がありましたが、私は初めて見学しました。

さらに坂を登ると、宝珠のついた石造りのアーチ門の安谷川嶽がありました。

中城御殿跡の美しい扇形の相方積みのすばらしさに感動し、

暗渠になった下之橋のきれいなアーチ部分も初めて見ました。

この橋の欄干がとてもきれいな造りだったそうです。

最後の首里城の久慶門(ほこりうじょう)は、王府に仕える人たちの通用門で、国王の普天間宮の参拝や国頭行事の出発門で、中頭方西海道のスタート地点だったそうです。

4時間をかけて5Kmを歩き足はガタガタ、たくさんのことをいっぺんに勉強しすぎて知恵熱が出そうで、歴史ガイドの道は険しいで~す!

そこで、新しく歴史ガイドになった4期生がガイドデビューするために、4期生を中心に事前研修会が開かれました。
ようどれ館から首里城までの5Kmの尚寧王の道を辿りながら、要所要所の解説をしてもらいました。

最初の浦添城の前の碑では、

小学生のこどもガイドさんが説明してくれましたが、その落ち着きぶりとまとまった説明に4期生もビックリ!でした。

歩いている時も集団の安全に気を配り、事故にならないように信号や横断歩道の利用をすることの大切さも感じました。

急な坂を下り谷底に着くときれいに復元された安波茶橋があり、

ここを中頭方西海道が通っているということです。

この奥にある国王が赤い皿で水を飲んだというきれいな水が湧き出している「赤皿ガー」を初めて見学しました。

経塚の碑では、唯一トイレがあるので、有効活用に心がけたいですね。

途中きれいなニトベカズラのピンクの花を楽しんだりすることもでき、心がなごみました。

ニシヌヒラと

フェーヌヒラの急坂は息が切れる難所でした。

太平(平良)橋は現在の場所より下流にかかっていたそうで、

急坂を登ると儀保くびりでした。

首里に向けての急坂を登りだすと安谷川(あだにがー)がありましたが、私は初めて見学しました。

さらに坂を登ると、宝珠のついた石造りのアーチ門の安谷川嶽がありました。

中城御殿跡の美しい扇形の相方積みのすばらしさに感動し、

暗渠になった下之橋のきれいなアーチ部分も初めて見ました。

この橋の欄干がとてもきれいな造りだったそうです。

最後の首里城の久慶門(ほこりうじょう)は、王府に仕える人たちの通用門で、国王の普天間宮の参拝や国頭行事の出発門で、中頭方西海道のスタート地点だったそうです。

4時間をかけて5Kmを歩き足はガタガタ、たくさんのことをいっぺんに勉強しすぎて知恵熱が出そうで、歴史ガイドの道は険しいで~す!
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by nami-5963
| 2011-10-23 21:43
| 歴史・史跡・世界遺産
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かかりつけの内科医院で389(サンパーク)カーニバルのポスターを見つけ、看護士さんと話していると、

「ペンギンがいたり民謡や琉舞もあり、二日目は城間の前村渠(めーだかり)と後村渠(しーだかり)が激突する城間松明(テービー)大綱引きもあり、とても楽しいですよ!」と教えて下さり、

「ゆみたんといっしょに楽しんで下さい。」と親切に抽選券まで下さいました。

初日目は、じいちゃんは夜の勉強会があり、いっしょに行けなかったのですが、ペンギンがそばで見られて大喜びしていたそうで、抽選ではビールが当たってラッキーのようでした。
ゆみたんはとても楽しかったので、二日目は「じいちゃんを誘って行く!」と決めていたようで、夕方家に誘いに来てくれました。

大好きなカイバ(シラ)とマグロの刺身を食べ、

パズルを楽しんでから、

走って出かけました。

会場ではさっそくかき氷をゲットし、

昨日から欲しかったプリキュアの風船を「じいちゃん、買って~!」と上手におねだりして来ます。

綱引きの前に両陣営の代表がにらみ合うシタクがあり、

前村渠の雄綱(うーじな)と後村渠の雌綱(みーじな)がドッキングし、

カヌチ棒でしっかり固定され、いよいよ大綱引きの始まりです。

両陣営とも接戦でしたが、最初は前村渠が勝利し、

旗頭を打ち振って大喜び!

二回目は、後村渠が発奮して勝利し、

旗頭を打ち振って大喜び!の引き分けでした。

綱引きが終わると細い引き綱を切って持って帰り、魔除けやお守りとして家に飾るそうです。

きれいに装飾したものも配られていてもらってきました。

最後は青年団のエイサーの演舞があり、

とても力強く勇壮でした。
小さい時から見慣れているとリズム感も身について上手になるものですね。

ゆみたんも「大きくなったら、エイサーする!」と言い出していますので、これからが楽しみで~す!

最後はカチャーシーで大いに盛り上がり、

楽しい大綱引きも無事終わることができました。
ゆみたんちのそばにこんな素晴らしいお祭りがあるのを初めて知り、来年からが楽しみになりました。

「ペンギンがいたり民謡や琉舞もあり、二日目は城間の前村渠(めーだかり)と後村渠(しーだかり)が激突する城間松明(テービー)大綱引きもあり、とても楽しいですよ!」と教えて下さり、

「ゆみたんといっしょに楽しんで下さい。」と親切に抽選券まで下さいました。

初日目は、じいちゃんは夜の勉強会があり、いっしょに行けなかったのですが、ペンギンがそばで見られて大喜びしていたそうで、抽選ではビールが当たってラッキーのようでした。
ゆみたんはとても楽しかったので、二日目は「じいちゃんを誘って行く!」と決めていたようで、夕方家に誘いに来てくれました。

大好きなカイバ(シラ)とマグロの刺身を食べ、

パズルを楽しんでから、

走って出かけました。

会場ではさっそくかき氷をゲットし、

昨日から欲しかったプリキュアの風船を「じいちゃん、買って~!」と上手におねだりして来ます。

綱引きの前に両陣営の代表がにらみ合うシタクがあり、

前村渠の雄綱(うーじな)と後村渠の雌綱(みーじな)がドッキングし、

カヌチ棒でしっかり固定され、いよいよ大綱引きの始まりです。

両陣営とも接戦でしたが、最初は前村渠が勝利し、

旗頭を打ち振って大喜び!

二回目は、後村渠が発奮して勝利し、

旗頭を打ち振って大喜び!の引き分けでした。

綱引きが終わると細い引き綱を切って持って帰り、魔除けやお守りとして家に飾るそうです。

きれいに装飾したものも配られていてもらってきました。

最後は青年団のエイサーの演舞があり、

とても力強く勇壮でした。
小さい時から見慣れているとリズム感も身について上手になるものですね。

ゆみたんも「大きくなったら、エイサーする!」と言い出していますので、これからが楽しみで~す!

最後はカチャーシーで大いに盛り上がり、

楽しい大綱引きも無事終わることができました。
ゆみたんちのそばにこんな素晴らしいお祭りがあるのを初めて知り、来年からが楽しみになりました。
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by nami-5963
| 2011-10-22 23:07
| 沖縄の不思議
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