昼からは、場所を首里城に移し上里隆史さんは、さらに詳しい歴史的な説明をして下さいました。

首里城のジオラマを前にして、「首里城は三つのエリアから成り立っていて、

正殿を中心とした政治、京の内を中心とした宗教、御内原(おうちばら)を中心とした居住空間!」だということで、これまた解り易かったです。

守礼の門、

園比屋武御嶽石門、歓会門、漏刻門、広福門についても詳しく説明を受け、

瑞泉門の下の龍樋は沖縄戦にも壊れず残ったもので、

冊封使がそのおいしさを讃えた石碑が乱立していることを教えてもらいました。

また、瑞泉門の両脇のシーサーは輝緑岩からできた新しい時代のもの!だそうでした。

一番驚いたのは、下之御庭の真ん中に邪魔になるようにぽつんと存在する首里森御嶽(すいむいうたき)が、首里城内の一番の聖地だ!ということでした。

ここを中心にして首里城が拡張して行ったそうです。
首里城正殿前の御庭に入るとより理解が深まりました。

正殿前の浮き道は歪んでついているように見えますが、実は東西方向についていて、正殿と首里森御嶽を真っ直ぐ結んでいる!聖なる道で、国王と冊封使しか通ることが許されない道だったそうで、まさに「目からうろこのお話」でした。

首里城内に龍は全部で23体あるそうですが、

どれも立派で、4本爪だということも確認して来ました。

新しく本を買ってきましたが、一晩で読み切り、

「目からうろこの琉球・沖縄の歴史」にはまり込んでしまいそうで~す!

首里城のジオラマを前にして、「首里城は三つのエリアから成り立っていて、

正殿を中心とした政治、京の内を中心とした宗教、御内原(おうちばら)を中心とした居住空間!」だということで、これまた解り易かったです。

守礼の門、

園比屋武御嶽石門、歓会門、漏刻門、広福門についても詳しく説明を受け、

瑞泉門の下の龍樋は沖縄戦にも壊れず残ったもので、

冊封使がそのおいしさを讃えた石碑が乱立していることを教えてもらいました。

また、瑞泉門の両脇のシーサーは輝緑岩からできた新しい時代のもの!だそうでした。

一番驚いたのは、下之御庭の真ん中に邪魔になるようにぽつんと存在する首里森御嶽(すいむいうたき)が、首里城内の一番の聖地だ!ということでした。

ここを中心にして首里城が拡張して行ったそうです。
首里城正殿前の御庭に入るとより理解が深まりました。

正殿前の浮き道は歪んでついているように見えますが、実は東西方向についていて、正殿と首里森御嶽を真っ直ぐ結んでいる!聖なる道で、国王と冊封使しか通ることが許されない道だったそうで、まさに「目からうろこのお話」でした。

首里城内に龍は全部で23体あるそうですが、

どれも立派で、4本爪だということも確認して来ました。

新しく本を買ってきましたが、一晩で読み切り、

「目からうろこの琉球・沖縄の歴史」にはまり込んでしまいそうで~す!
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by nami-5963
| 2012-01-25 21:28
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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「目からうろこの琉球・沖縄の歴史」という内容の上里隆史さんの歴史講演会が、琉球大学でありました。

最初に、「伝統的な沖縄のもの」と言うことでリストアップして簡単に説明して下さいました。
赤瓦は300年前から出て来て番所や那覇のみが許可され、それまでは茅葺や板葺が一般的だったこと、

シーサーも石でできた村シーサーが一般的で、屋根に乗り出したのはごく最近だということの説明がありました。
他にも沖縄の伝統的なもの!としてあげられる石巌当、亀甲墓、サトウキビ畑、エイサー、豚肉食文化、坪屋焼き、泡盛などの詳しい説明がありましたが、どれもそんなに古い時代のものでないということでした。

1609年の薩摩の侵攻の後、尚寧王は2年間薩摩で捕虜となり、江戸にまで引きずりまわされ(江戸上りの初めとなった!)、世の中すべてがやる気の無さにあふれ、頼りとしてきた明朝まで滅び、どうしょうもないご時世になったそうです。

そこで、羽地朝秀という人物が大改革に乗り出し、その時の新しいものが「伝統的なもの」として現在に残っているそうです。

まさに、「目からうろこのお話」で感動しました!
話も解り易く、俯瞰的な観点で説明して下さるのがとてもありがたく、

ファンになって本も買って読みあさっていま~す!

最初に、「伝統的な沖縄のもの」と言うことでリストアップして簡単に説明して下さいました。
赤瓦は300年前から出て来て番所や那覇のみが許可され、それまでは茅葺や板葺が一般的だったこと、

シーサーも石でできた村シーサーが一般的で、屋根に乗り出したのはごく最近だということの説明がありました。
他にも沖縄の伝統的なもの!としてあげられる石巌当、亀甲墓、サトウキビ畑、エイサー、豚肉食文化、坪屋焼き、泡盛などの詳しい説明がありましたが、どれもそんなに古い時代のものでないということでした。

1609年の薩摩の侵攻の後、尚寧王は2年間薩摩で捕虜となり、江戸にまで引きずりまわされ(江戸上りの初めとなった!)、世の中すべてがやる気の無さにあふれ、頼りとしてきた明朝まで滅び、どうしょうもないご時世になったそうです。

そこで、羽地朝秀という人物が大改革に乗り出し、その時の新しいものが「伝統的なもの」として現在に残っているそうです。

まさに、「目からうろこのお話」で感動しました!
話も解り易く、俯瞰的な観点で説明して下さるのがとてもありがたく、

ファンになって本も買って読みあさっていま~す!
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by nami-5963
| 2012-01-24 21:41
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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最近、ばぁちゃんが腰を痛めてじいちゃんが毎日ゆみたんを送迎しています。
保育園に送り届けると大きなダチョウの卵が置いてあってビックリ!

今朝は、新たに津波表示の30mが張ってありました。

帰りの途中下車で、「もずくく」「もずくく」と何度も繰り返して言うので、何のことかと思いきや、「もずくスープ」の包装紙がちょうど重なっていて本当に「もずくく」と読めるので、ビックリ!
よく見ているんで、感心しました。

先日は、動物の絵本を読んでいて「きすいだ こねこ」と何度も言うので、???とおもって見ると、

本のタイトル「こねこ だいすき」をちゃんとさかさまに読んで楽しんでいました。

遊び心満点のかわいいゆみたんで~す!
保育園に送り届けると大きなダチョウの卵が置いてあってビックリ!

今朝は、新たに津波表示の30mが張ってありました。

帰りの途中下車で、「もずくく」「もずくく」と何度も繰り返して言うので、何のことかと思いきや、「もずくスープ」の包装紙がちょうど重なっていて本当に「もずくく」と読めるので、ビックリ!
よく見ているんで、感心しました。

先日は、動物の絵本を読んでいて「きすいだ こねこ」と何度も言うので、???とおもって見ると、

本のタイトル「こねこ だいすき」をちゃんとさかさまに読んで楽しんでいました。

遊び心満点のかわいいゆみたんで~す!
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by nami-5963
| 2012-01-23 22:06
| 沖縄の不思議
|
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昨日の夜10時~朝の3時までの間、泡瀬干潟でウミホタル・ヤコゥチュウの観察会がありました。

ウミエラ館に60人ほどの親子連れが集まり、ウミホタル・ヤコゥチュウの説明と真っ暗な海に出て行く注意を受け、点呼を取る練習をして出発!

潮のよく引いた干潟を歩いて行くと、貝の卵と砂を粘液で混ぜ合わせた芸術品のスナチャワン(砂茶碗)が見つかり、

そばに親のタマガイたちも集まっていました。

きれいなイソギンチャクが干上がって潮の満ちてくるのを待ちわびていました。

少し水深のある海草藻場に着き、足をバチャバチャすると短時間にきらきらと輝くヤコゥチュウがいっぱい見られます。

そんな中で、少し長い時間ボート光るのがウミホタルです。
こども達はきれいので、興奮して大喜び!

どちらも懐中電灯を照らすと、小さいので何もいないようにしか見えないのが不思議です。

ちょっと足を伸ばして、ウミエラも観察しに行きました。

引き潮で水深が浅いので、大きく広がっていませんでしたが、

たくさん砂地から体を棒状に突き出していました。

こんなのを初めて見てこども達も大喜び!

帰り道で、エビを上手に捕まえたり、

コブヒトデや

毒のトゲを持つアンボイナガイやを見つけたり、

ハコフグの仲間のコンゴウフグに出会ったりと楽しい干潟観察会になりました。

ウミエラ館の貝の標本などもこども達は熱心に見入っていて、
泡瀬干潟の素晴らしい自然に出会えた夜の観察会でした。

ウミエラ館に60人ほどの親子連れが集まり、ウミホタル・ヤコゥチュウの説明と真っ暗な海に出て行く注意を受け、点呼を取る練習をして出発!

潮のよく引いた干潟を歩いて行くと、貝の卵と砂を粘液で混ぜ合わせた芸術品のスナチャワン(砂茶碗)が見つかり、

そばに親のタマガイたちも集まっていました。

きれいなイソギンチャクが干上がって潮の満ちてくるのを待ちわびていました。

少し水深のある海草藻場に着き、足をバチャバチャすると短時間にきらきらと輝くヤコゥチュウがいっぱい見られます。

そんな中で、少し長い時間ボート光るのがウミホタルです。
こども達はきれいので、興奮して大喜び!

どちらも懐中電灯を照らすと、小さいので何もいないようにしか見えないのが不思議です。

ちょっと足を伸ばして、ウミエラも観察しに行きました。

引き潮で水深が浅いので、大きく広がっていませんでしたが、

たくさん砂地から体を棒状に突き出していました。

こんなのを初めて見てこども達も大喜び!

帰り道で、エビを上手に捕まえたり、

コブヒトデや

毒のトゲを持つアンボイナガイやを見つけたり、

ハコフグの仲間のコンゴウフグに出会ったりと楽しい干潟観察会になりました。

ウミエラ館の貝の標本などもこども達は熱心に見入っていて、
泡瀬干潟の素晴らしい自然に出会えた夜の観察会でした。
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by nami-5963
| 2012-01-22 12:10
| 磯遊び
|
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普天満宮で沖縄石の会のサイエンスカフェがありました。

今年初めての会合でたくさんの方が集まり、

私的には普天満宮の初詣も兼ねさせてもらいました。
大城会長さんのあいさつで、去年の震災の経験から「自己判断力と自己行動力を身につけることの大切さ!」が強調されました。
続いて、会長さんの「沖縄島の形から自然について考える」のお話は、難しい内容をとても解り易くかみ砕いた「熟練の話芸」そのものでした。

沖縄島を昔の人は宇宙船からも見られない時代に「大海に漂う龍のごとし!」と例えた想像力のたくましさを紹介し、

沖縄島の辺戸岬の石灰岩は、本部半島の一億年前の石灰岩と同じもので、それが渡名喜島へと続いていること、

ヤンバルの嘉陽層などの地層は慶良間諸島につながり、

中南部の新しい時代の琉球石灰岩は遠く宮古島につながっていることを説明して下さいました。
また、ヤンバルに琉球石灰岩がないことから、琉球石灰岩が海で堆積する時代には、そこが陸であった証拠で、
ボーリングをすると琉球石灰岩の下の800mにヤンバルの地層がある!ということも紹介してもらい、立体的な沖縄島のようすがよくわかりました。

辺戸岬から名護にかけての海岸には高知県で研究された仏像構造線が通っていることも知りビックリ!

さらに、ビックリ!したのは、大城会長さんの奥さんが、高知大学の一年先輩だということがわかったことでした。
世間は狭いものですね。

今年初めての会合でたくさんの方が集まり、

私的には普天満宮の初詣も兼ねさせてもらいました。
大城会長さんのあいさつで、去年の震災の経験から「自己判断力と自己行動力を身につけることの大切さ!」が強調されました。
続いて、会長さんの「沖縄島の形から自然について考える」のお話は、難しい内容をとても解り易くかみ砕いた「熟練の話芸」そのものでした。

沖縄島を昔の人は宇宙船からも見られない時代に「大海に漂う龍のごとし!」と例えた想像力のたくましさを紹介し、

沖縄島の辺戸岬の石灰岩は、本部半島の一億年前の石灰岩と同じもので、それが渡名喜島へと続いていること、

ヤンバルの嘉陽層などの地層は慶良間諸島につながり、

中南部の新しい時代の琉球石灰岩は遠く宮古島につながっていることを説明して下さいました。
また、ヤンバルに琉球石灰岩がないことから、琉球石灰岩が海で堆積する時代には、そこが陸であった証拠で、
ボーリングをすると琉球石灰岩の下の800mにヤンバルの地層がある!ということも紹介してもらい、立体的な沖縄島のようすがよくわかりました。

辺戸岬から名護にかけての海岸には高知県で研究された仏像構造線が通っていることも知りビックリ!

さらに、ビックリ!したのは、大城会長さんの奥さんが、高知大学の一年先輩だということがわかったことでした。
世間は狭いものですね。
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by nami-5963
| 2012-01-21 16:20
| 沖縄の不思議
|
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二回目の今日も「琉球官生と南京国士監」ということで、

浦添出身の琉球大学の博士課程の学生の方が講師を務めてくれました。
いろんなことを教えてもらい不思議に思ったことは、中国にはだれが、いつからいつまで官生として、国士監に留学していたという記録がちゃんと残っているということでした。
明・清朝の中国の偉大さを知らされました。
また、講師の方がよく勉強していることにも感心しました。

座学が終わってから、孔子廟を見て回ると、程順則(ていじゅんそく)の顕彰碑がありました。


この久米村(くにんだ)の出身で日本や中国にも知られた王府時代のもっとも有名な学者だそうでし
た。
久米村からは立派な人がたくさん輩出された歴史にも驚きました。

浦添出身の琉球大学の博士課程の学生の方が講師を務めてくれました。
いろんなことを教えてもらい不思議に思ったことは、中国にはだれが、いつからいつまで官生として、国士監に留学していたという記録がちゃんと残っているということでした。
明・清朝の中国の偉大さを知らされました。
また、講師の方がよく勉強していることにも感心しました。

座学が終わってから、孔子廟を見て回ると、程順則(ていじゅんそく)の顕彰碑がありました。


この久米村(くにんだ)の出身で日本や中国にも知られた王府時代のもっとも有名な学者だそうでし
た。
久米村からは立派な人がたくさん輩出された歴史にも驚きました。
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by nami-5963
| 2012-01-20 22:30
| 歴史・史跡・世界遺産
|
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先日あった県民カレッジ講座の「天然記念物保護の歴史」に参加し、今までに「あいだみつお展」や「岩崎ちひろ展」(2010.5.4、参照)にはゆみたんといっしょに見学したことがありましたが、博物館内の展示を一度も見ていないことを自覚しました。

そこで、継続して通って、沖縄県のことをしっかり理解したいと思い、博物館の年間パスポートを作りに出かけました。

写真入りの年間パスポート代金は3700円で、これで一年間自由に入館できるなんて、
すごく得をした気分でした。

先日の県民カレッジ講座の自然部門の続きから見出し、フラッシュさえたかなければ、

写真を撮影してもかまわない場所があり、資料作りをしました。
そしたら、考古学部門を見終わると、4時間が終了してしました。
そんな中で一つ疑問に思うことができました。

屋外に展示してある大きな「砂岩」の標本は、私にはどうしても「砂岩」ではない?!と思えてならないのですが・・・
展示間違い?!てなものはないのでしょうか?

そこで、継続して通って、沖縄県のことをしっかり理解したいと思い、博物館の年間パスポートを作りに出かけました。

写真入りの年間パスポート代金は3700円で、これで一年間自由に入館できるなんて、
すごく得をした気分でした。

先日の県民カレッジ講座の自然部門の続きから見出し、フラッシュさえたかなければ、

写真を撮影してもかまわない場所があり、資料作りをしました。
そしたら、考古学部門を見終わると、4時間が終了してしました。
そんな中で一つ疑問に思うことができました。

屋外に展示してある大きな「砂岩」の標本は、私にはどうしても「砂岩」ではない?!と思えてならないのですが・・・
展示間違い?!てなものはないのでしょうか?
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by nami-5963
| 2012-01-19 20:21
| 沖縄の不思議
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お迎えに行くと、今朝のゆみたんはちょっと寝不足気味で車に乗り込んできました。
ママとのお別れもいつものようにうまく行かず、ご機嫌が悪いまま、わが家にやってきました。

防寒具や靴下を脱ぐと半袖なのにビックリ!

寝不足なので、お休みゲームをしよう!と言うと乗ってきてくれます。

ばぁちゃんとお布団に入ってしばらく甘えると、もう元気になってヤクルトをグビグビ!

二階のベランダに上がり、自分が買ってきたイチゴにもちゃんと水をやり、

少し赤くなって来たのを見つけ、「ばぁちゃん、イチゴあかくなってきたよ~!」と嬉しそうに報告していました。
これでご機嫌を直し、一日保育園で頑張ってくれました。
よかった!よかった!!
ママとのお別れもいつものようにうまく行かず、ご機嫌が悪いまま、わが家にやってきました。

防寒具や靴下を脱ぐと半袖なのにビックリ!

寝不足なので、お休みゲームをしよう!と言うと乗ってきてくれます。

ばぁちゃんとお布団に入ってしばらく甘えると、もう元気になってヤクルトをグビグビ!

二階のベランダに上がり、自分が買ってきたイチゴにもちゃんと水をやり、

少し赤くなって来たのを見つけ、「ばぁちゃん、イチゴあかくなってきたよ~!」と嬉しそうに報告していました。
これでご機嫌を直し、一日保育園で頑張ってくれました。
よかった!よかった!!
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by nami-5963
| 2012-01-18 22:30
| 沖縄の不思議
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今日も浦添ようどれ館の当番の日で、みんなといっしょにおいしい肉マンを食べたくてちょっと知恵を絞りました。

Tang Tangの肉マンは人気があってすぐに売り切れてしまうので、2~3日前にメモに書いて予約を入れることにしました。

そんな訳でみなさんとおいしい肉マンを食べられて幸せ~!

今日は5人の入館者がありましたが、その中のお一人が、娘さんとお孫さんを連れたタクシーの運転手をしているというオバアさんでした。

「冬至の朝陽がこんなふうに射すことを昔の人はよく知っていたね?玉城城と似ているね!」
「北山の今帰仁にあれだけ大きな城を作った人はどんな人だったんだろうね?」
ととても詳しく、いっしょに歴史談義となりました。
しばらくすると私の言葉づかいから「あなたはないちゃー(内地の人)だね!こんなところでガイドしてるなんてえらいね!」と誉められ、恐縮してしまいました。

最近、このようどれ館にも、標高が120.1mという津波対策表示が付きました。
沖縄戦ではここ前田高地一帯は激戦地となり、二番目に多い5000人の戦死者を出したところだそうですが、

普天間基地も

慶良間諸島も見渡せる浦添ようどれ館が、現在は津波の避難地に最適なのが嬉しい限りで~す。

Tang Tangの肉マンは人気があってすぐに売り切れてしまうので、2~3日前にメモに書いて予約を入れることにしました。

そんな訳でみなさんとおいしい肉マンを食べられて幸せ~!

今日は5人の入館者がありましたが、その中のお一人が、娘さんとお孫さんを連れたタクシーの運転手をしているというオバアさんでした。

「冬至の朝陽がこんなふうに射すことを昔の人はよく知っていたね?玉城城と似ているね!」
「北山の今帰仁にあれだけ大きな城を作った人はどんな人だったんだろうね?」
ととても詳しく、いっしょに歴史談義となりました。
しばらくすると私の言葉づかいから「あなたはないちゃー(内地の人)だね!こんなところでガイドしてるなんてえらいね!」と誉められ、恐縮してしまいました。

最近、このようどれ館にも、標高が120.1mという津波対策表示が付きました。
沖縄戦ではここ前田高地一帯は激戦地となり、二番目に多い5000人の戦死者を出したところだそうですが、

普天間基地も

慶良間諸島も見渡せる浦添ようどれ館が、現在は津波の避難地に最適なのが嬉しい限りで~す。
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by nami-5963
| 2012-01-17 21:24
| 歴史・史跡・世界遺産
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